城は見るだけ…歩くだけ!   (日本の城郭)



  
   

      
    

 
   清洲城     

清洲城

清洲城     
清洲城
     2006/1/8 訪城
 
御殿
 別称 清須城  愛知県清洲市朝日城屋敷


    応永十二年(1405)頃、  尾張、遠江、越前の守護大名の斯波義重が築城した。

斯波氏は足利幕府を支える三官領(細川、斯波、畠山)

          の家柄で権力を誇り、斯波氏は清洲城に守護代として織田敏定を城主とし尾張を統治させた。

   その後、家督相続問題で内乱が起こる、応仁の乱に始る下克上の時代となり、この機に敏定の家臣であった

織田信秀(信長の父)が清洲城主にのし上がった。

弘治元年(1555)   信長が清洲城主となる。  

永禄三年(1560) 信長は今川義元を破り天下取りの一歩を踏み出す。 

永禄十年(1567)   信長は美濃の斉藤龍興を攻略し岐阜城に移り。嫡子の信忠が清洲城主となる。         
   

   天正十年(1582)   本能寺の変で信長が倒れ信忠も戦死。清洲会議で信長の次男の

織田信雄(のぶかつ)清洲城主となる。その後 
  
 秀吉がほぼ天下統一すると、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉(家康の四男)が城主となる、家康の世となると    

   慶長十二年(1607)  家康の九男義直が入城。 

慶長十五年(1610)  清洲が手狭になり清洲城を廃して名古屋に移転する。        

                 現在は清洲公園から五条川を渡った所に模擬天守が建っている、

内部は郷土資料館です、最上階からは濃尾平野が一望できます。 城跡としては、遺構はほとんど

無いに近いと思います、みのやんも資料館に入り少し学び、この日はリハビリもお休みとして帰路に着きました。
 

清洲城城門  清洲城  清洲城城門 


                 清洲城も今から三年前に訪城致しましたが、その時は。お〜これが清洲城か…ていど終わり

写真も城全景の1枚撮って終わり その写真が今も清洲城の写真として載せています、

2009/02/15に再訪城致しましたが、以前と余り変わった事も気が付かず写真を撮って帰宅しました。         
                   

城年  応永12(1405) 築城者  斯波義重 歴代城主  斯波、織田、豊臣、福島、松平、徳川  形式 : 平城   
遺構  模擬天守、石垣  現状  城跡公園  ご案内  城跡の地図 無料駐車場有り  


                                           
  

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