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                |       新城城
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                | 学童の案内で城跡を見学、 
 楽しい一日でした
 
 皆さん 本当に
 
 有難う御座いました。
 
 元気で頑張って下さいね!
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 |  天正 
            3年(1575)、長篠合戦で功績のあった長篠城主奥平信昌(貞昌)が、
 
 家康公から3000貫の知行地を与えられて、現在の入船の地である郷ヶ原に、
 
 天正 
            4年(1576)、新しい城を築城して、
 
 長篠城から移り住んだのが新城城のはじまりです。
 
 地名もこのことから名づけられている。新城城に入った信昌は、
 
 かねてからの約束通り、家康公の長女である亀姫(加納御前)を娶り、
 
 天正18年(1590)に豊臣秀吉の命により家康公が関東に入国する際、
 
 これに従って上野国宮崎(3万石)へと移るまで領した。
 
 信昌が上野へ移ると、新城城には吉田城主となった
 
 池田輝政の家臣・片桐正義が入城している。新城城は、
 
 慶長 
            5年(1600)の関ヶ原合戦後には天領になったが、
 
 慶長11年(1606)、1万3000石で水野分長が入城した。
 
 水野氏は 
            2代にわたって城下町を整備しているが、
 
 正保 
            2年(1645)、再び天領となった。
 
 そして慶安元年(1648)、菅沼定美が7000石で入城、城を陣屋として使用。
 
 菅沼氏は明治維新まで続き、明治 
            2年(1869)、新城城は廃城となっている。
 
 愛知県新城市東入船
 
 
 
              
                | 築城年  | 天正4年(1576)  | 築城者  | 奥平信昌  | 歴代城主  | 奥平、片桐、水野  | 形式  | 平城  |  
                | 遺構  | 曲輪、土塁、空堀、櫓台  | 現状  | 新城小学校  | ご案内  |   | 駐車可   | 城跡の地図 
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 |  ©minoyan
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