城は見るだけ…歩くだけ!
(日本の城郭)
PART2
史跡訪問
築城年
天明年間(1469-87)
築城者
熊谷重実
歴代
城主
熊谷
形式
山城
遺構
曲輪、石垣、
井戸、堀切
現状の形態
山林
付近に駐車可
城跡の地図
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主郭跡
石垣の表示が有りましたが、全然たいした事
は有りません。岩が転がっている感じです。
宇利城
姫御殿跡
色々と標示は有りましたが、下草が多く藪
だらけでイマイチ気分は乗らないね。
2010/04/17 訪城
松平右京亮の墓
文明年間(1469〜87)熊谷重実によって築かれたと言われている。
戦国期に入った
享禄3年(1530年)、松平清康(家康の祖父)は幕下に加わろうとしない熊谷実長を城主とする宇利城を攻め立てた。しかし、
三方を山に囲まれた天然の要害である宇利城はなかなか落ちず、松平清康の叔父松平右京亮が戦死するなど苦戦する。だが、城内の岩瀬庄右衛門が内通し城に火をかけたため、形勢は一転。城主実長は裏山沿いに落ちのびていった。ちなみに、内通した岩瀬庄右衛門の子孫が(養子だが)岩瀬忠辰。「日米修好通商条約」にサインし、勝海舟を見出した幕末の外交官である。
愛知県新城市中宇利字仁田
©minoyan
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