城は見るだけ…歩くだけ!日本の城郭

 
 
 

松山城 

 



松山城 
    愛媛県松山市丸の内   城跡の地図                           2007/7/21 訪城
松山城 



 


松山城 
                                                        
天守閣より
                 

勝山山頂に築かれた松山城は数多くの建てものが重要文化財のオンパレードの城、

 みのやんはリハビリの積もりで一時間ほどかけて登山道を歩き天守を目指す。
  (一般的にはロープエイで本丸跡までいきます) 

 大手門跡から屈折した道を行く、戸無門〜筒井門〜櫓門〜太鼓問をくぐり抜けて

  行くと本丸跡にそこで目に付くのは大きい井戸である、

  この城は昭和時代に数多く復元された櫓や門を見て歩くのが楽しいです、 

 現存天守(重要文化財)や高石台の櫓には圧倒されます (@_@;) 

              
 ほな〜 少し歴史をお勉強?  ヘナ転記致しますか!

  文禄四年(1595) 文禄の役での戦功により加藤嘉明は伊予郡正木城に入った
                                 
  慶長五年(1600) 関ヶ原の合戦では家康方に付き軍功を上げ

              六万石から二十万石に増封された。
 
  
     慶長六年(1601) 加藤嘉明は勝山山頂に松山城を築くことにした、

     二十年の歳月をかけて天守を始め(五層六階) 

          二の丸、三の丸など築き大城郭に仕上げた。

  寛永四年(1627)完成まじかにして加藤嘉明は会津若松に転封、替わりに蒲生氏郷の

   孫蒲生忠知が入封したが、まもなく逝去しお家は断絶{寛永十一年(1634)
 
  永十二年(1635) 伊勢桑名より家康の異父弟の定勝の子

           松平定行が四国の押さえとして入封 
 
    定行は幕府に気がねして天守を三層に改める、

      この天守は天明四年(1784)に焼失した

  安政元年(1850) 天守は再建され現在に至っている松平定行が入封以来、松平

         十五代の居城として明治維新を迎える
 



松山城 
松山城内 

        

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