元暦二年(1185) 平知盛が源氏との合戦に備え長門国目代井通資に築城させた。
寛元二年(1244) 下総前司親房が平家残党鎮圧の下知奉行として鎌倉幕府より豊前代官職
に任ぜられし下向した。その後、門司六ヶ郷と筑前国香椎院内などを拝領し、親房の子孫は
地名から門司氏と名乗り、門司城を本城として約350年に渡り北九州を治めた。室町末期に ると、
門司半島は豊後大友氏と大内氏、大内し滅亡後は毛利氏が争奪した、門司城はその
渦中に置かれ特に大友氏、毛利氏による永禄の門司城合戦は壮絶な極めた。その後も門司
城は城主は入れ替わりながらも続いたが、
元和元年(1615) 細川忠興の入封後。一国一城令により廃城となった。
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