説明板によれば南北朝期に越前に勢力のあった南朝の新田義貞が北朝の美濃の土岐氏に対する備えとして
杉原砦を築いたとされるようです。但し、杉原砦が現在地であったのかは不明とのことです。
戦国期になり、この地に杉原六郎左衛門家盛が住しており、この系統から豊臣秀吉の正室おねが出ているとのことです。
そばにある七人塚は、家盛が守る杉原砦に攻めてきた斉藤勢に対し脱出する家盛の身代わりとして討死した
七人の家臣を供養したものと伝えられます。この時、家盛は事態は尾張に
逃れたとされるようです。 <現地説明板より>
揖斐郡揖斐川町(藤橋)東杉原 2010/10/12 訪城
城年 |
南北朝期 |
築城者 |
新田義貞 |
歴代城主 |
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形式 |
山城 |
遺構 |
模擬天守 |
現状 |
公園 |
御案内 |
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無料駐車場有り |
城の中プラネタリウム |
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