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岐阜県岐阜市茜部本郷二丁目 |
2010/01/31
訪城 |
戦国時代、堀秀正お先祖:資重が本郷の地に築城
天正年代(1570)は秀政の居城であった。秀政 天文二十二年(1553) この城で秀重の嫡男として生まれ,久太郎と称し13歳で
信長に仕え数多くの武勲をたてた。天正九年(1581)には長浜城主に、翌年十年本能寺の変後は秀吉の先鋒として
光秀を山崎に討った。その智勇を認め秀吉から羽柴の姓を称を賜った。
その後、賎ヶ岳の戦いの戦功で佐和山城主となり長久手の合戦後には四国征伐の功により従四位で侍従左衛門督となった。
天正十三年(1585)北ノ庄城主として18万8百石拝領し天正十八年(1590)秀吉の小田原城攻めに参戦中
5月27日、陣中にて38歳で病没した。
「上茜部」バス停近くに城跡説明板、碑があるのみです。
城年 |
戦国期 |
築城者 |
堀資重 |
歴代城主 |
堀氏 |
形式 |
平城 |
遺構 |
無し |
現状 |
住宅街 |
御案内 |
城跡の地図 |
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