2008/9/13
訪城 別称 城藪
この城跡は高さ5mの土塁が残っており又水堀も健在で本丸跡地はグランドに
なっており少し残念な面も有りました。でも城門の基礎石など少し残っておりまし。
みのやんは堀の中を歩いて行くと急に水堀と変わりビックリ!
先ずリハビリ散歩には楽しい城跡です。
略史
慶長2年(1597) 加藤貞泰により築城。加藤氏は西美濃安藤氏の一族で代々
美濃国黒野を所領していた。土岐氏に仕えていたが、加藤光泰(貞泰の父)
斎藤氏、仕え、甲府二十四万石を与えられている。
文禄2年(1593) 光泰は文禄の役に出陣したが、帰国途中に病死する。
子供の貞泰は幼少のため、美濃国厚見郡、方県郡四万石に削封された、
貞泰は領地内の寺院を仮住まいとして、黒野城を築城に着手した。
慶長5年(1600) 石田三成と徳川家康が対立すると、西軍岐阜城主織田秀信につき、、
竹中半兵衛らと共に犬山城の警護に行なう。
岐阜城が落城すると東軍に和議を申し入れ、関ヶ原の戦いでは東軍に参戦する。戦後、所領は安堵され、
黒野城黒野藩四万石の城となる。
慶長15年(1610) 加藤貞泰は伯耆国米子藩六万石へ加増され移封された。これにより黒野藩は廃藩、
黒野城廃城となる。
城跡の地図
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