野尻城は境城の西大手口を守る出丸砦として
築かれた。応仁二年(1468) 美濃守護代
斉藤妙椿が郡上侵攻の際、野尻城は落城し
和良判官為光土京、山中に逃れ討死した。
慶長五年(1600) 八幡城の戦いの際、郡上
奪回の兵を上げた、斉藤慶隆は、白川から
進軍し、野尻城と法師丸砦に分かれて
宿営した。 江戸初期(1605)頃八幡城主
遠藤慶隆の命を受けた遠藤杢之助が城の
改修補強工事を行った。
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元和元年(1615) 一国一城令により廃城
(現地の説明板より伐採)
戸隠神社の重ね岩を先ず見学して登りました
出丸と本丸と矢印が有りますから。出丸の方
に行きます。出丸は細長い曲輪です、馬場、
腰曲輪と行くと城跡の碑と説目板が有りました
この山も熊か?何か出るようで(写真)金網で
確り柵がして有りますから、開けて登ります。
とりあえず注意!
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