天文13年(1544)9月、竹中半兵衛重治は大御堂城主竹中遠江守重元の長男としてこの地で誕生し、幼少の頃から学問を好み、特に兵法を学んだ。永禄元年(1558)、父・重元に従い岩手氏を襲って岩手に移住し、斉藤龍興に仕えた。永禄7年2月6日、家臣16人を率いて稲葉山城へ登城し、城外の安藤守就軍と呼応して城を占拠した。信長の城譲渡話を断り、同年8月に龍興に返し、近江の浅井氏の食客となった。翌年、栗原山に蟄居中、木下藤吉郎(豊臣秀吉)の再三の説得に応じ、藤吉郎の客将分で信長に仕えた。その後、秀吉の軍師として活躍したが、天正7年(1579)、三木城攻撃中に病に倒れ、6月13日平井山の陣中で36歳で没した。
|