城跡公園として整備はいき届き、みのやんとしては歩きやすく又
見学しやすい城跡です。堀切のダイナミックな事、第一〜第三と
大掘切は通路として使用され面白いです。この日はお天気もまぁま
良く銀杏の葉が真っ黄で美しく、景色も言う事無くバツグンです。
嘉吉年間(1441-4) 依田忠政が築城した。
弘治二年(1556) 依田氏の後、北条政時を滅ぼした
新田景純の子:伊勢守信純が所領した。
永禄三年(1560) 上杉謙信が関東に進出した際、高田氏、安中氏は
従ったが、新田信純、小幡 信実は従わず武田信玄に走った。信玄は信純を名門上条家を継がせた。箕輪城落城後の
永禄十年(1568) 信純の本領丹生を小幡信実に与えため、信純は後閑城に入った。
天正六年(1579) 信純死後、次子重政が後閑、三子信久が上条家継いだ。武田勝頼滅亡後は
下野守信重は北条高広に従い、後閑重政:信久兄弟は小田原に属し、
信久も後閑氏と称したため、以後、両後閑と呼ばれた
天正十二年(1585) 高広が小田原北条を降り大胡に移った際、
北条氏直は両後閑を厩橋在番を命じた。
天正十八年(1591) 両後閑は小田原に籠城したが、
北条氏没落と共に後閑城も廃城となる。
(日本城郭体系四伐採)
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