岩櫃城の築城年、築城者は不明ですが、
南北時代に岩櫃城城主吾妻太郎行盛の名が
文献に初めて登場する。
行盛は南朝方の豪族里見氏に攻めら害。
その後行盛の子:憲行関東官領
上杉氏の支援により岩櫃城を奪回し、
以後斉藤越前守憲広(基国)まで六代まで
東吾妻支配の本拠とした。
戦国時代、上州は甲斐の国武田氏、越後上杉氏、
小田原北条氏に
よる支配権争いが繰り広げられ、
禄六年(1563)斉藤憲広の本拠の岩櫃城は
武田信玄家臣:真田幸隆よって落城し、
武田氏の西上野支配が確立した。
武田氏滅亡後は真田氏の支配にとなり
岩櫃城は信州上田城から上州沼田城を結ぶ
真田道の中間地点として
重要な位置を占めた。江戸時代に入っても
真田氏が吾妻地域は支配したが、
元和元年(1615) 一国一城令により、
真田信幸は城下町を原町に移し、
岩櫃城を破却し、真田の三堅城:岩殿城、
久能山城、岩櫃城の役目は終えた。
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