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明応年間(1492-1501) 沼田景久」の三男:名胡桃(なぐるみ)三郎景冬が
沼田城の支城として築城した。
天正六年(1578) 沼田城が北条氏n攻略された為。上杉、武田方の真田
昌幸が利根川の渡河点警護沼田城奪回の拠点として城を改修し、
城代として鈴木圭水重則を置いた。
天正八年(1580) 真田勢が沼田城を攻略し、
名胡桃を沼田城と厩橋城の中継点とした。
天正17年(1589) 豊臣秀吉が沼田地方を北条氏へ渡したが、
名胡桃城は真田氏の所領のままとなった。
真田氏の所領のままを不満とした、沼田城代となった北条方の猪俣邦憲が城を攻略し、
鈴木圭水重則は自害した。秀吉は北条の不信を怒りこの事件がきっかけになり
天性18年(1590) 小田原征伐で北条氏を滅ぼした。
この城跡は、みのやんでも解りやすく案内(説明)板が細かく表示され解りやすく、空堀は深く、土塁は高く、
曲輪は広く城跡の標本見たいな名胡桃(なぐるみ)城あとです。余りにもの広さには先ずビックリ致しました。
期待以上の城跡でした。 城跡の地図
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