この地は、鎌倉より厳島社家である藤原氏の拠る所で、厳島神社神主である佐伯氏の本拠だった。
城は海に面し、東に岩戸尾、西に藤掛尾など七尾の諸城を従えた要害の地だった。戦国時代には、
東に武田、西に大内の狭間となり、天文10年(1541)に藤原興藤が戦いに敗れ、城に火をかけられ、
300年続いた神主家は滅んだ。その後、大内、陶、毛利と相次いで城番が置かれた。
厳島合戦の前年である天文23年には、毛利元就が桜尾城を占拠して、重臣桂元澄が守り、
厳島合戦の毛利氏の拠点となった。元澄死後、元就の四男穂田元清が城主となったが、
関ヶ原合戦後、毛利氏の移封とともに廃城となった。
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