[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
この地は、鎌倉より厳島社家である藤原氏の拠る所で、厳島神社神主である佐伯氏の本拠だった。 城は海に面し、東に岩戸尾、西に藤掛尾など七尾の諸城を従えた要害の地だった。戦国時代には、 東に武田、西に大内の狭間となり、天文10年(1541)に藤原興藤が戦いに敗れ、城に火をかけられ、 300年続いた神主家は滅んだ。その後、大内、陶、毛利と相次いで城番が置かれた。 厳島合戦の前年である天文23年には、毛利元就が桜尾城を占拠して、重臣桂元澄が守り、 厳島合戦の毛利氏の拠点となった。元澄死後、元就の四男穂田元清が城主となったが、 関ヶ原合戦後、毛利氏の移封とともに廃城となった。