戦国時代には周防国の大内氏と出雲国の尼子氏の両国に立たされたが、
毛利元就の次男:元春を養子に迎え当主として、毛利体制に入る。
天正十年(1582) 本城である日野山城の西南麓の隠居所として築いたのがこの居館である。
元春とその子元長の死後、当主となった元春の三男:広家が出雲国富田城に移ったため、
館の機能は失われ、元春の菩提寺として建てられた海応寺の寺領となった。
関ヶ原合戦後は吉川氏は岩国へ移った。
別称 海応寺館 御土居 広島県北広島町志路原字海応寺
2009/08/07 訪問
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築城年 |
天正10年(1582) |
築城者 |
吉川元春 |
歴代城主 |
吉川氏 |
形式 |
館 |
遺構 |
復元屋敷・庭園,石垣,土塁,空掘,礎石 |
現状の形態 |
公園 |
ご案内 |
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城跡の地図 |
無料駐車場有り |
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