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兵庫県伊丹市二丁目 |
2009/03/21
訪城 |
略史 伊丹城は鎌倉末期、この地の豪族の伊丹氏が居館を構えたのが始まり、
文明四年(1472) 伊丹但馬守が城を大修復し戦国時代にかけて勢力を伸ばし、
摂津の戦国大名となる。
天正二年(1574) 織田信長の配下:荒木村重の攻撃を受けて落城する。
荒木氏は城の名前を有岡城と改め城を壮大な城郭建築に仕上げた。
天正六年(1578) 信長が中国征伐の時、羽柴秀吉の副将にもかかわらず村木氏は
三木城の別所長治と結託して信長に反旗を翻し毛利方に寝返った。
秀吉の命を受けて黒田勘兵衛孝高が単身で有岡城に入り説得にあたったが
逆に長らく士牢に幽閉された。 激怒した信長は同年有岡城を攻めるが、
籠城十ヶ月。戦況が不利となると荒木氏は援軍を求める為尼崎城を経て備後に落ち延びる。
天正七年(1579) 有岡城に籠る家老荒木久左衛門は降伏を申し出たが、
信長は受け入れず、荒木村重の妻子、一族郎党千二百名余り惨殺した。
有岡城落城した。 その後:池田之助が城主となるが
天正十一年(1583) 池田氏は美濃に転封となり、有岡城は廃城の運命をたどる。
JRの伊丹駅の前が伊丹城です、まず駅前でこれだけの城址を残しているのは立派なものです。
現状は城址公園と市民に親しまれて要る事でしょう、
遺構も礎石、石垣、井戸跡、土塁、空堀も残って城址の雰囲気は十分味合うことができます。
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国史 別称 有岡城 |
石垣 |
築城年 |
鎌倉末期 |
築者 |
伊丹氏 |
歴代城主 |
伊丹、荒木 |
形式 |
平城 |
遺構 |
曲輪、土塁、横堀、
石垣、井戸、 |
現状の形態 |
城跡公園 |
ご案内 |
城 跡の地図 |
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有料駐車場有り |
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