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兵庫県尼崎市富松町二丁目十三 |
2009/03/21
訪城 |
戦場の地、富松城は長期に渡り本拠地とした城主は無く、戦乱のたびに入れ代わったと思われる
平安時代にはこの地は富松荘と呼ばれた荘園であった。
この時代から薬師寺氏が管理しており、薬師寺氏が築城したと思われる。 戦場の富松城は
永正十六年(1519) 越水城の合戦で、細川高国は瓦林正頼を援護するために
富松城に陣を張ったが、瓦林正頼が城を開城したため、細川澄元方の武将が入城した。
大永七年(1527) 掛川原の戦いで敗れた細川高国は、浦上村宗の力を借りて摂津国に侵攻。
この時に細川春元方としていた富松城を防衛していたのは薬師寺国勢であった。
享禄三年(1530) 細川高国軍は神呪寺城から朝駆けで攻撃したが、
細川晴元方の援軍があり一旦兵を退いたが、再び攻撃し薬師寺国勢軍を伊丹城に敗走させた。
富松城は細川高国の本陣となった。元々薬師寺氏は代々細川高国方であったが、
この時は細川高国に敵対していた、しかし再び高国方に寝返った。
この後大物崩れで細川高国が自害し、薬師寺氏も勢力を失うこととなる。
天文十年(1541) 一庫城の戦いで二ヶ月間包囲していた三好長慶軍は、
木沢長政軍が大軍で攻めて来た為、一旦兵を退き逆に木沢長政軍は越水城を包囲し、
後詰軍を富松城に配置した。木沢長政は越水城を攻撃を開始したがこれに対して
三好長慶は阿波国に援軍を求め反撃をし撃退させその時富松城も落城した。
三好長慶方と三好政長方の争いの中で越水城と中嶋城の分断を目的に
天文十八年(1549) 三好長政方は富松城攻撃したが落城させることが出来ず退却した。
その後江口の戦いで長慶方が勝利した。
天文十九年(1550) 最後まで伊丹城で抵抗していた三好長政を落とすため
三好長慶は富松城に入ったが、和議が成立した。
その後は天正年間(1573*1592)まで存続したと思われますが、
その後の経過については不明な部分が多いのである。
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別称 東富松城 |
築城年 |
長享元年(1487)以前 |
築者 |
薬師寺氏? |
歴代城主 |
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形式 |
平城 |
遺構 |
土塁、横堀 |
現状の形態 |
住宅地 |
ご案内 |
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有料駐車場有り |
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