国府山城
妻鹿城
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姫路市飾磨区妻鹿
2015/06/27 訪城
妻鹿城,功山城、甲山・袴垂城(はかまたれ)ともいわれています。
初代城主は、薩摩氏長の子孫で「太平記」で有名な
妻鹿孫三郎長宗です。長宗は元弘の戦(1330年頃)赤松円心に
属して功を立て、その功によって妻鹿地方を領有するようになり、
ここ功山に城を築いたといわれています。
その後、姫路城内で生まれた黒田官兵衛孝高の父職隆は、
天正元年(1573)に姫路城から功山城に移り居城としました。また、
天正八年(1580)三木城主別所長治を滅ぼした豊臣秀吉は三木城を
居城としました。これに対し、官兵衛孝高は三木城が戦略的に不備で
あることを進言し、自らの居城である姫路城を秀吉に譲り、
功山城に移りました。
官兵衛孝高は、後に九州福岡に移り、黒田藩五六万石の
大大名の基礎
を築いたことはあまりにも有名
天正十三年(1585)職隆が没した後は、廃城となったようです
山頂
広嶺山を背景に姫路城も見えます。
築城年
元弘3年(1333)
築城者
妻鹿長宗
歴代城主
妻鹿、黒田、
形式 : 山城
遺構
曲輪、井戸
現状
山林
ご案内
城跡の地図
無料駐車場が完備