城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)



 

   亀山(かめやまじょう)


                                                                                                   
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亀山城 



                                  
亀山城  亀山城 
         京都府亀岡市荒塚町 城跡の地         別称、亀岡城  2008/1/27 訪城        


 
亀山城跡は現在大本教団の施設に大半になって下ります。見学する為に先ず教団の受付にて 

 見学希望を申し出ると、万祥殿(三の丸跡)にて神主様の御祓いを受けてから見学します、左側 

 の天守台(写真)は大本教の聖地になっており登る事は出来ません。築城四百年の余りの経緯を

 たどると、明知光秀により築城が始ったのは、天正6年(1578)頃と推定される、同3年光秀は織田

 信長の命を受け丹波平定を開始、築城は丹波攻略の軍事的拠点を確保する目的で行われた。 

 光秀の死後、豊臣氏の支配を経て、江戸時代に入り慶長14年(1609)岡部長盛が入封して
 
 亀山蕃が成立した。亀山城の整備は長盛の在封期にほとんど完了した。以後松平氏、管沼氏                                                                                    
                                                           
 などの譜代大名が置かれ明治維新まで約百二十年間続いた。明治11年(1878)明治政府は城郭
                                                           
 が反政府活動の拠点になる事を恐れ、全国の城郭を一部を残し廃城処分する事にした。                                                           
                                                           
 城内の土地は官有地となり、大蔵省の管轄で払い下げることになった。当時の亀岡町(亀岡市)                                                             
                                                           
 には城全体を購入する財力は無く、建物、土地も何人かの「城売り」と呼ばれる商人の手に渡り                                                           
                                                           
 何度か転売されたようだ。次第にに荒れ果てた城跡を(明治30年頃)地元で城保存の声が上がり                                                           
                                                           
 当時の貴族議員の田中源太郎氏が土地、建物を買い取って                                        
                                        
 管理することになったが、田中氏は亀岡の発展に役立てたいとう考えから鉄道(旧山陰線)敷設のため、城内                                                                  
                                                                  
 の石や土など利用した。大正八年、宗教法人大本教の教祖、出口王仁三郎が天守閣、二の丸付近を買い取                                                                 
                                                                  
 ることになった。亀岡出身の出口氏は昔の面影を再現しょうと、城内にのこった石など使い石垣を積み直す 

 などの整備に試みた。このとき造られた石垣や建物などは、昭和十年の第二次大本事件で破壊                          

 され、その後再建され現在に至っている。大本教の聖地となった今も城跡を美しく残す為に                                                          
                                                           
 毎朝約百人が清掃しているほか、石垣の間の土を締めるため植栽するなど維持管理されている                                                          

 再建された石垣などは当時のままのものと勘違いして訪れる観光客も有ると言う、実際には石垣

 の一部のみ当時のままだが、緑に包まれた静かな城跡を歩くと、昔のたたずまいがよみかえって

 くるようだ。このような形で静かな城跡を維持していくのも、いいのではないか。落ち着いた

 たずまいは守り続けてほしい。 (1995/6/28 京都新聞 丹波版) 京都府亀岡市荒塚町

 
亀山城 
 

 


城年  天正5年(1577)  築城者         明智光秀  歴代城主  明智、形原   形式  平城
 遺構  曲輪、天守台、石垣 堀 現状の形態  大本教教団   備考  城跡の地   無料駐車場有 


 
       

                                                           

 
                                                                            ©minoyan