略史
延元4年(1339) 足利尊氏に属する細川頼春が北朝方の前線基地として築いた。戦国時代に入ると
永禄11年(1568) 織田信長が足利義昭を奉じて上洛のさい、柴田勝家の軍勢に勝竜寺城攻撃され落城した。
信長は築城者の頼春の流れをくくむ細川藤孝に勝竜寺城 与えた。藤孝は城の大修築を行った。
藤孝の子の忠を興と光秀の娘、玉と祝言をあげたのも勝竜寺城である。
天正7年(1579) 細川藤孝が丹後田辺城に移ると、矢部氏、猪子氏が勝竜寺城の守将となった。
天正10年(1582) 山崎の合戦で秀吉に敗れた光秀は勝竜寺城に後退。坂本城に帰る途中、土民
に奪われて命を落とした。光秀の亡き後重臣の三宅綱朝が勝竜寺城を守ったが、秀吉の大軍に
(忠興と玉ガラシャの像)攻め込まれ落城した。その後勝竜寺城は廃城となった。
現状は勝竜寺城は周囲には石垣、堀、板塀をめぐらし、
模擬高麗門、隅櫓など建てられ勝竜寺城公園として開園しています。
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