城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)
                        
 

 

   勝竜寺城かつりゅうじょう)


                                                                                                   
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勝竜寺 
                               模擬高麗門 
                                                        

 
  このお城は何と言ってもガラシャ(玉)が嫁いだ城で皆さんはご存じと思います。本能寺の変で信長
                                                            
  が自刃すると、明知光秀より細川藤孝に再三味方になるように依頼が受けるが、藤孝は同調せず、                                                                
                                                             
  忠興と玉(光秀の娘)を離縁させ玉を山中に幽閉させた。玉はキリスト教の洗礼をうけガラシャと名のり、
                                                                                                                          
  後に細川忠興と復縁する。関ヶ原の合戦では、忠興は家康方に味方したため、石田三成は                                                                                                                          
                                                             
  ガラシャ夫人を大阪城に呼び人質に考えたが、ガラシャ夫人はこれを拒み家臣の手を借りて自ら                                                             
                                                             
  命を絶ち(キリスト教は自殺は許され無いため)時にガラシャ夫人は38歳。


                                    


     
勝竜寺勝竜寺 
       京都府長岡京市東神足                          2008/1/27 訪城
  


 
略史
                                                                                                                                                                                                                                                                      
延元4年(1339)  足利尊氏に属する細川頼春が北朝方の前線基地として築いた。戦国時代に入ると                                                                                                                                                                            
    
 永禄11年(1568) 織田信長が足利義昭を奉じて上洛のさい、柴田勝家の軍勢に勝竜寺城攻撃され落城した。
  
信長は築城者の頼春の流れをくくむ細川藤孝に勝竜寺城 与えた。藤孝は城の大修築を行った。

 藤孝の子の忠を興と光秀の娘、玉と祝言をあげたのも勝竜寺城である。

天正7年(1579)  細川藤孝が丹後田辺城に移ると、矢部氏、猪子氏が勝竜寺城の守将となった。                                                                                                                         
                                                             
 天正10年(1582)  山崎の合戦で秀吉に敗れた光秀は勝竜寺城に後退。坂本城に帰る途中、土民                                                             
                                                             
      に奪われて命を落とした。光秀の亡き後重臣の三宅綱朝が勝竜寺城を守ったが、秀吉の大軍に

    (忠興と玉ガラシャの像)攻め込まれ落城した。その後勝竜寺城は廃城となった。                    


 現状は勝竜寺城は周囲には石垣、堀、板塀をめぐらし、

      模擬高麗門、隅櫓など建てられ勝竜寺城公園として開園しています。


    
 
 

築城年  室町中期  築城者         畠山義就  歴代城主    形式  平城
 遺構  曲輪、土塁、空堀、井戸 現状の形態  勝竜寺城公園   備考   城跡の地図   無料駐車場有 

                                                    
                   
                                                           

 
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