観音寺から山頂を目指し登り始めました。道中では堺屋太一の「秀吉の道」
小説と絵図が描かれそれを見ながら(読みもて)登って行けば体力も少しは
楽チンに登れます、さらに「禁門の変」に 敗れた長州方に同行して天王山
山頂で自刃した十七烈士の墓が有りました。そこから五分程で 酒解神社の
大きな鳥居が見えてきます、(みのやんはそこで休息タイム約十分)校倉造の
神興庫(鎌倉時代築、重要文化財)がありました、未だこの先登らないと城跡の
感がしません、山頂の手前当たりから石垣崩れ石? が散らばっていました。
南の方の竹林を降りて行くと崩壊した石垣があり、途中には大きな井戸があり
中を少し覗き込む程度に開いていました。この地は信長が明知光秀に討たれ後
羽柴秀吉が備中高松城攻めから引き返し
天正10年(1582)秀吉と 光秀が戦った山崎合戦で秀吉が勝利した地(天王山戦い)
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