神戸城(かんべじょう)
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三重県鈴鹿市神戸本多町 |
高さある高麗大手門(頭正寺に移築) |
県立神戸高校付近が神戸城跡です。
学校の西側に天守台の石垣が残す公園があります、水堀も確り残っています、
やはりみのやんは、
城跡 と言えば石垣、水堀がどうしても頭に浮かびます、その点神戸城跡は
みのやん好みお城です、その方がすぐさま空想に入れるから…
そうそういっも思うんだが、城巡りをして、城跡には殆ど人を見かけ
無いわ〜たまにカップルを見かける程度で…やはり爺さん婆さんの
暇つぶし程度か?でも何だか寂しい気もするが、若い人達も近くの
城跡などは見て頂きたいとおもいます、ひょとして何かを感じる物が…
有るかも…と最近は思うみのやんでした
( みのやん自身何を得たかと言われるとべつに〜と答えを返しますが、
でも人それぞれ違うやぁろ)
貞治6年(正平22,1376)、亀山城主関盛政の長男盛澄は領地を分け与えられ沢城を築き、神戸氏を称した。
弘治年間(1555-58)、7代目・利盛が城を沢から神戸へ移し、東に岸岡城、北に高岡城を築いて支城とした。
永禄10年(1567)、信長軍が高岡城を包囲するも落城せず、翌年、信長の三男・三七郎(信孝)を
神戸城主・友盛の養子にする事を条件に和睦した。
元亀2年(1571)、信長は友盛を沢城へ隠退させ、信孝を神戸城主とした。その後、城主は入れ替わり、
寛永13年(1636)、城主だった一柳監物直盛が伊予国西条へ移封となり、15年間天領となったが、その後、破却された。
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2008/430 訪城 |
別称 本多城 | (豆知識) 近世になって高麗門 本柱の上に切妻破風の屋根が付き、空柱の上にも本屋根を設けた門。 加藤清正が朝鮮出兵のおり、この門を見て採用したとの伝説です。
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