釆女城(うねめじょう)
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三重県四日市市釆女町 |
別称 一名北山城、 2009/05/23
訪城 |
藤原氏の子孫:後藤基秀は文応元年11月(1260)宇野辺(釆女)の地頭となり、一族郎党を引き連れて釆女の山に築城す。
以来三百有余年、連綿として続いたが、十五代の孫:後藤釆女正の時、織田信長の侵略にあい
永禄十一年(1568)哀れにも高岡城と共に戦場の露と消えた。その際姫君も主郭の深い井戸に身を投げて父の後を追ったのである。
この釆女城跡の遺構はかなり整備されており、土塁、空堀等見やすく各所に説明板もあり、みのやんでも解りやすく見所は
多々有ると思います。また眺望も良いところも有ります。 四日市では一番の城跡と思いま、お薦め城です。
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