延元元年(1336)、南北朝の動乱期に図師六郎入道慈円が南朝方の拠点として築城し、
後に伊東祐堯が領し、三位入道義祐も飫肥攻撃の拠点とした。義祐没落後、島津氏が領し、
家老上井覚兼が入った。豊臣秀吉の九州征伐後は高橋氏が領した。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦時、伊東祐兵は家康に通じていたが、石田三成の誘いに兵だけを伏見城へ派遣し、
黒田如水の意見により、子・祐慶を日向へ帰国させ、西軍に属した諸将の城を攻めた。
その1つが宮崎城の戦いである。関ヶ原合戦時、日向国で東軍に属していたのは伊東氏のみだった。
伊東の臣・清武城主稲津重昌は宮崎城兵の数倍の兵力でこの城を攻め、
守将種盛以下は討死し、城は陥落した。九州の関ヶ原戦いであった。
今回の九州の旅で最初の城廻りは宮崎城から始まりました。台風の影響を心配していましが
上記の写真の如く天気は恵まれましたが、宮崎城の登城は昨夜の雨でその上、
雑草が生い茂り早々に引き上げました。
城年 |
延元元年(1336) 元号一覧 |
築城者 |
図師六郎入道慈円 |
歴代城主 |
図師、伊東、高橋 |
形式 |
山城 |
遺構 |
曲輪、空堀、 |
現状 |
山林 |
ご案内 |
登城口の地図 |
駐車場 |
駐車ペース有り |
