宮崎城   
        宮崎県宮崎市池内町城               2015/07/25  訪城
 

池内城


龍峯城

 

               
 延元元年(1336)、南北朝の動乱期に図師六郎入道慈円が南朝方の拠点として築城し、

 後に伊東祐堯が領し、三位入道義祐も飫肥攻撃の拠点とした。義祐没落後、島津氏が領し、

 家老上井覚兼が入った。豊臣秀吉の九州征伐後は高橋氏が領した。

 慶長5年(1600)関ヶ原合戦時、伊東祐兵は家康に通じていたが、石田三成の誘いに兵だけを伏見城派遣し、

 黒田如水の意見により、子・祐慶を日向へ帰国させ、西軍に属した諸将の城を攻めた。

 その1つが宮崎城の戦いである。関ヶ原合戦時、日向国で東軍に属していたのは伊東氏のみだった。

 伊東の臣・清武城主稲津重昌は宮崎城兵の数倍の兵力でこの城を攻め、

 守将種盛以下は討死し、城は陥落した。九州の関ヶ原戦いであった。                      


 


      今回の九州の旅で最初の城廻りは宮崎城から始まりました。台風の影響を心配していましが

       上記の写真の如く天気は恵まれましたが、宮崎城の登城は昨夜の雨でその上、

       雑草が生い茂り早々に引き上げました。

      
        

城年  延元元年(1336) 元号一覧 築城者   図師六郎入道慈円 歴代城主  図師、伊東、高橋 形式  山城 
遺構  曲輪、空堀、  現状  山林  案内   登城口の地 駐車場  駐車ペース有り 

                      
                                                                                                  

                                                       

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