延岡城は立派な石垣が出迎えてくれる感じで曲輪も広く壮大な城あとです。
慶長8年(1603)、延岡藩主・高橋元種が築城した。
元種は松尾城(市内松山町)を拠点としていたが、鉄砲の普及による戦法の変化に対応するため、
五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた丘陵に近世城郭を築いた。
慶長18年、元種は改易となり、肥前国日之江の有馬直純が5万3千石で入封した。
承応元年〜明暦元年(1652-55)、康純の時、城を大改修した。元禄4年(1691)、
永純が越後国糸魚川に転封となり、
日向国初の譜代大名として三浦明敬が下野国壬生から2万3千石で入封した。明敬は
正徳2年(1712)三河国刈谷に移封となり、牧野成央が三河国吉田から8万石で入封した。しかし、
延享4年(1747)、常陸国磐城平から内藤政樹が7万石で入封し、
内藤氏が8代続いて明治を迎えた。.jpg)
慶長8年(1603)、延岡藩主・高橋元種が築城した。元種は松尾城(市内松山町)を拠点としていたが、鉄砲の普及による戦法の変化に対応するため、五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた丘陵に近世城郭を築いた。慶長18年、元種は改易となり、肥前国日之江の有馬直純が5万3千石で入封した。承応元年〜明暦元年(1652-55)、康純の時、城を大改修した。元禄4年(1691)、永純が越後国糸魚川に転封となり、日向国初の譜代大名として三浦明敬が下野国壬生から2万3千石で入封した。明敬は正徳