飫肥城   
              宮崎県日南市飫肥            2015/07/26  訪城
 

舞鶴城

 



      伊東氏5万1千石の城下として栄え、九州の小京都ともよばれる飫肥。

                     碁盤の目状に整備された町中の、石垣や武家屋敷も見所のひとつ


 

 




正平年間(1346-70)、日向の地に武士団として勢力を伸ばした土持氏が築城した。

室町末期になると、工藤祐経の嫡子・祐時を祖とする

伊東氏が日向で勢力を拡大し、土持氏を追いやった。

長禄2年(1458)薩摩島津氏が伊東氏の南下に備え、

島津氏一族で志布志城主の新納忠続を飫肥城に入城させた。

以後、伊東氏と島津氏の飫肥城争奪戦が繰り広げられた。

元亀3年(1572)伊東義祐は木崎原の合戦で島津勢に大敗し、

天正5年(1577)島津氏に追われ、伊東氏は豊後の大友宗麟を頼って亡命した。しかし、

天正15年、豊臣秀吉の九州征伐後、伊東氏19代・

祐兵が5万1千石を与えられ飫肥城主に返り咲いた。

以後、祐兵を初代として伊東氏14代が続き明治を迎えた。

貞享元年(1684)5代伊東祐実の時、大地震で飫肥城は損壊したため、

大改修をを行い、元禄6年(1693)完成した。

  




     

                                  書院が復元されている。        

        

城年  天正15(1587) 元号一覧 築城者  伊東祐兵  歴代城主  伊藤氏 形式  平山城 
遺構  復元櫓門、大手門、曲輪、石垣、堀、城壁  現状  公園、資料館  案内   城跡の地  駐車場  無料駐車場有り 

                      


                                                                                 

                                                       

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