都於郡城 

 
        宮崎県西都市都於郡町            2015/07/26  訪城
 

 



 この城跡の広大な事に先ずビックリ、その上 格曲輪の広さに更にビックリ

 曲輪から隣接する曲輪が見え、楽しい城跡です。
 



          
 


 

    



  

 建久元年(1190)、工藤左衛門尉祐経は鎌倉幕府から日向国の地頭職に任ぜられた。

         祐経の嫡男・伊東祐時から6代目の祐持は足利尊氏に従って勲功を認められ、

 建武2年(1335)都於郡300町を賜り、一族を連れて伊豆から移った。

  この祐持が都於郡伊東氏の初代となり、建武4年(延元2、1337)城を築いて城主となった。

     2代目・祐重が山城として改修した。その後、約240年間、

    日向国を掌握した伊東氏が本城としたが、

  天正5年(1577)12月、10代目伊東三位入道義祐の時、島津氏に敗れ都於郡城は落城し、

     伊東氏は一族を連れて豊後に落ち延びていった。


 
                                      
                                                                        
  
 

   
 

                                             土塁 
                                                          
    
 

   
                                             
                                 
  
 

   


 

                                                                                                                                                                                             

城年  建武2(1335) 元号一覧 築城者  新納時久  歴代城主  新納、伊東、島津 形式  山城 
遺構  曲輪、堀切、土塁、模擬櫓、井戸  現状  城山公園、  案内   城跡の地図  駐車場  無料駐車場有り 

                      
                                                                                                  

                                                       


 

 

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