この城は梯郭式に本丸、二の丸、三の丸が南北につながり、
その西側は帯郭、西郭、外郭区画され、
四周は一重の濠を巡らす、本丸の南面は特に防御を固め、
濠は深く、土塁は高く急傾斜で、東、北、西の三面は
直立に近い石垣を築く。本丸、二の丸、三の丸は城主の
居館、政庁、城櫓があり、西郭は重臣屋敷、濠外は家中屋敷、
公共施設、その外側には城下町が発達していた。
この城は元は常磐牧の泉氏の居城で、のち上杉謙信の属城となる。

永禄7年(1564)頃 武田信玄の侵攻に備え、謙信の創意の縄張と、さらに上杉景勝の
修築による特色のある城郭で、上杉氏の信濃出陣の拠点となる
慶長3年(1598) 上杉氏の会津移封後は、関、皆川、堀、佐久間、松平、永井、青木
本多の諸氏が交替して城主となった。(現地説明板より)
今は城山公園と整備され本丸跡には少し変わった神社が鎮座している、立派な城門もあり、
周囲の石垣が堪能できます、枡形虎口もはっきり残っています、私みたいに軽い
軽い障害者の方も気軽に、行ってリハビリには最高の場所です。
築城年 |
永禄年間(1558-70) |
築城者 |
上杉謙信 |
歴代城主 |
上杉、関、皆川、堀、佐久間、松平、永井、青山、本多 |
形式:平山城 |
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遺構 |
曲輪、石垣、土塁、水堀 |
現状 |
城山公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場有り |
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