この城跡は道路が整備されかなり楽に登れると聞いて来ましたが、
なかなかみのやんに とってはキツイ山登りでした
(登山道を間違えたかも?)約1時間程で主郭に着きました。 でも、少し期待外れだ〜
村上氏歴代の本城として主郭も小さくスケールに欠けるわ〜
いいのいいの みのやんは 城は見るだけ…歩くだけ!
でも疲れたで〜
略史
南北朝末期から坂城郷に居館を構え村上氏も
天文22年(1553)4月村上義清が没落するまで、村上氏の歴代の本城であった。
天文17年(1548) 二月には上田原合戦が勃発。決着
こそつかなかったが、武田軍の板垣信方、
甘利虎泰ら重臣を討ち取って、事実上勝利した。
天文19年(1550) 砥石城の戦いでも横田備中守高松ら将兵一千を撃退した。(戸石崩れ)
この時期に真田幸隆が武田に仕官し幸隆の調略によって砥石城は落城。
天文22年(1553) 村上氏の属将の屋代氏(荒砥城主)、
塩崎氏(塩崎城主)らが武田に内通して
武田本軍と共に葛尾城を攻撃の準備に入り、村上義清は長尾景虎を頼った。
慶長5年(1600) 関ヶ原の戦いの時徳川秀忠は上田城を攻撃するが失敗。
松代城にいた森忠政を葛尾城に置き、
真田昌幸は葛尾城を
攻撃したが、二の丸まで攻め込んだが落城に至らず、これ以後、葛尾城は廃城となった。
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