城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)


   
   
松岡城(まつおかじょう)


  松岡城   
      長野県高森町下市田        2012/04/30 訪城   
     

 平安時代、前九年の役(1056-62)で敗れた陸奥の安倍貞任の次男仙千代が市田郷牛牧村に逃れ、

 郷民に推され地頭となり松岡姓を称し、

 松岡古城に館を構えた。南北朝期に入り新たにこの地に城を構え、以後松岡氏の本拠とし、

 信濃国守護小笠原氏に従った。

 天文23年(1554)伊那に侵攻した武田信玄の軍門に降り、自領の安堵を図った。

 天正10年(1582)織田信長の伊那侵入の際、

 城主頼貞は信長に帰順し本領を安堵されるも、本能寺の変で信長は急死。

 徳川家康と豊臣秀吉のどちらに就くか去就を決めかねていた時の城主松岡貞利

 は徳川家康に誓詞を入れ服従を約すも、松本の小笠原貞慶が徳川方の保科氏を高遠に攻めた際、

 貞利は小笠原氏に味方して高遠の攻撃に加担した。

 それを家臣に密告され、天正16年、松岡貞利は改易を命ぜられ、所領を没収され、

 約500年続いた松岡氏の支配は終わりを遂げた。

                               現地パンフレット 
     
  
  城跡は説明も行き届き解りやすくみのやん好みの城跡です。

  松源寺の手前に五の堀があり、そこから次々と現われる堀を眺めながら、

  土橋も確り渡り主郭に進むとかなり広い主郭で、お茶会が開かれており、

  多くの方が楽しんでおられました、建造物の無い城跡にこのように多くの方が来ておられ事は、

  整備も行き届き高森町の史跡の思いが解ります。
 
 



 松岡城の碑

           子供の日は近し

    主郭はかなり広く鯉のぼりが泳いでいました

               松源寺

築城年  南北朝期  築城者  松岡氏  歴代城主  松岡氏  形式  崖端城 
遺構  曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切  現状  城跡公園  ご案内  城跡の地図  無料駐車場有り  

                                         

                               
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