鈴岡城はみのや好みの城跡です。まるで案内人が居る様に説明標示が有り、
整備は行き届き美しい公園です、多くの人々はお弁当を持って、家族連れや
友達同士の方々で賑わっていました。この様な姿を見るとみのやんも浮き立ちます。
室町時代、松尾城・小笠原貞宗の次男宗政が松尾家から分家して築城したと
いわれてる。信濃守護小笠原氏は、深志・松尾・鈴岡の三家に分裂して対立した。
天文23年(1554)、武田信玄の伊那侵攻に際し松尾家・小笠原信嶺は武田氏に属し、
鈴岡小笠原信定は深志小笠原長時と共に武田氏と戦って敗れ、鈴岡城は松尾城の
支城となった。天正18年(1590)、武田氏滅亡後徳川家康に臣従していた
小笠原信嶺は、家康の関東移封に伴い武蔵本庄へ移り、鈴岡城は廃城となった。
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