城は見るだけ…歩くだけ!
 
 
 

 

知久平城 

 
   長野県飯田市下久堅知久平               2011/04/16 訪城
     




 この城跡は、小学校、幼稚園、民家、農園(畑)と広範囲でみのやんは農園
 辺りを探索して(早 苦手な蛇に対面し)早々に引き上げました。

  鎌倉時代始めに知久氏が築城した。武田信玄が東海地方へ進軍した際知久氏は
  ここを出城とし、神之峰城へ移った。知久氏は諏訪大社の神氏系の一族で、
  当初上伊那郡箕輪町上の平に住し、この地には地頭の任を受け居を構えたものである。


 天正10年(1582)武田氏滅亡により、徳川家支配地として菅沼小大膳定利が
       居城し、城を整備した。菅沼氏は三河国設楽郡田峯城主の一族で、
 天正18年上州吉井へ所替までこの地を支配した。城はその際廃城と
       なったが、400年弱の間、この地の政治経済の中心だった。
 



 築城年 鎌倉時代  築城者         知久氏 歴代城主  形式 丘城 
 遺構  現状 畑、宅地  案内   




                                                                     




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