本城
天文10年(1541) 武田信虎、諏訪頼重、村上義清の連合軍に敗れた、真田幸隆は
滋野一族の頭領であった海野棟網らと共に真田の地を追われ西上州の羽尾幸全や
箕輪城の長野業政を頼り放浪していた。その後真田幸隆は甲斐の武田晴信(信玄)
に仕官した。(父。武田信虎は晴信により駿河に追いやられて晴信が甲斐の国主と
なる)真田幸隆は信玄の信濃侵攻をたすけた。
天文20年(1552) 幸隆は武田軍主力で攻め切れなかった砥石城を調略により簡単に
城を乗とってしまい奪還し、念願の故地の砥石城を預けられた。
幸隆死後は信綱が跡を継だ。
2008/8/7
訪城 長野県上田市真田町長字真田
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