城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)


 

   平戸城(ひらとじょう)
                                     
                                                              
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平戸城

 
         平戸市岩の上町       2014/07/24 訪城       

別称

亀岡城

日の岳城
 

 



平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、

対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。

三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、

東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。


 



 平戸城は、平戸藩主松浦(まつら)氏の居城で、別名亀岡城とも呼ばれます。


 平戸城主松浦氏は、始祖を嵯峨天皇の皇子源年(135融(とほる)とし、平戸にはその
子孫で

、第11代峯(松浦)持(たもつ)が、嘉禄元年(1225)頃に平戸港北側に
「御館山城」を築きました。


 以来、松浦氏は「御館山城」から、正平72)「白狐山城(びゃっこざんじょう)」、
慶長4年(1599)「日の岳城」、

 と変遷をくり返しながらも、平戸港周辺を基盤として
勢カを拡張し、戦国大名へと発展していきました。


 豊臣秀吉に領知の承認をえました。


     



 その後松浦氏は、慶長5年(1600)の「関ヶ原の戦い」では、積極的な動向を表わし
ませんでしたので、

 徳川政権に豊臣派の可能性を疑われに及び、慶長18年(1613)
築城して13年目の「日の岳城」を焼却して

 恭順の意を表したといいます。
  

   
   

                                                 
 焼失した日の岳城に替る居館として建設されたのが、

 元和6年(1620)頃に平戸港
の北側の「御館山城」跡の下方に「御館」を建設し藩庁としました。 


 約90年後の第5代藩主松浦棟(たかし)になって、亀岡に「平戸城」の再築を幕府
に願い出て、

 宝永元年(1704)再築に着手し、享保3年(1718)に完成しました。
概要としては、本丸、二の丸、三の丸、

 白浜廓、外廓からなり、二の丸に「御殿」が
築かれました


   




     

  

 再築にあたり平戸藩では、建築資金を藩領の一部地域の諸税をあて、または
藩臣の俸給、

 神社仏閣の維持費を削減するなどして、費用の捻出を行いました。

 
 宝永元年より享保3年までの城築総入目銀高は1,180貫303匁8分2厘、延べ総
人夫数は554,371人でした

 


 

                         
                                現在の各櫓は昭和37年に平戸市が復元したものです。



城年  慶長4(1599 元号一覧  築城者  松浦鎮信  歴代城主  松浦氏  形式  平山城 
 遺構 復興天守,石垣,空堀,曲輪,櫓  現状  亀岡公園  ご案内  跡の地図    無料駐車場場有り