築城者は解りませんが、戦国時代に信越国境から春日山城への
北国街道沿いを防衛する ために築城されたと思われる、本丸、
米倉周辺は遺構も確り残っています、見所は大です
天正6年(1578) 御館の乱にて、鮫ヶ尾城城主
(堀江駿河守宗親)は上杉影虎に加担し
御館に千の兵士を率いて入城した。
天正7年(1579) 御館は上杉景勝により落城し、
三郎景虎は小田原へ逃亡する際、鮫ヶ城に入った、
景勝は鮫ヶ城を囲包し城下町に放火した上で、
安田氏を介して内通応じた堀江宗親が、
二の丸に放火して鮫ヶ尾城を出た。景勝軍の攻撃で景虎は
2008/8/8
訪城 (別称、 宮内古城)自刃し、鮫ヶ尾城は落城した。
新潟県妙高市宮内
登口の地図
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