高越城は、鎌倉時代末、蒙古襲来に備えて幕府が宇都宮貞綱に命じて作らせたと伝えられている。
戦国時代には、京都伊勢氏の一族の備中伊勢氏が那須氏に代わって荏原荘を治め、
この高越城を居城にしていた。伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)は、この備中伊勢氏出身で、
永享4年(1432)父伊勢盛定の子としてこの地に生まれた。新九郎は、
青年時代までこの城で過ごし、西江原の法泉寺で学んだといわれている。
その後、30代で京都伊勢氏の養子となり、京都に上がり幕府に仕え、応仁の乱の後、妹の嫁ぎ先の
駿河国(現在の静岡県)の守護今川家に身を寄せた。新九郎は、この今川家の家督争いを治め、
56歳にして初めて駿河国の興国寺城の城主となった。その後、伊豆国(現在の伊豆半島)、
相模国(現在の神奈川県)を治め、88歳で亡くなるまで、北条5代100年の関東支配の
基礎をつくり、戦国大名の魁となった。(現地説明板参照)
|