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 (日本の城郭)



 

  中津城(なかつじょう)

                                                                                                   
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中津城 

別称


 
中津城 
       大分県中津市二ノ丁   模擬 天守閣                     2008/12/28   訪城

中津城

 

中津城碑



   この城の姿の美しさは、なかなかの物である水堀に写る模擬天守の姿など…カメラを構えたら切がありません。
  中津城だけでみのやんは100枚近く撮ったかな〜皆さんに見せられないのが残念です。
   石垣の美しさを見とれ歩き回っていると、右と左?少し違和感を感じる石垣がありました。
  (下の写真)これは右側は「折あらば天下人に」という野望を秘めた
  高田孝高(如水)時代の本丸石垣。左側は細川忠興時代の石垣です。忠興の自慢の石垣とされている。


 略史 

天正十五年(1587)  秀吉の九州征伐の戦功により黒田勘兵衛孝高(如水)が豊前十六万石を領し翌年中津城を着手した。

慶長五年(1600)   関ヶ原の戦功により如水:長政父子は筑前五十二万三千石を領し、中津城には細川忠興が入封した。

        細川忠興は中津城は領国支配が不便の為小倉城を(慶長七年)築城し移り、嫡男:忠利を中津城に置いたが

                  その後、忠興は隠居して三斉と号し、忠利に家督を継がせ、自ら中津城を隠居城とした。
 
 寛永九年(1632)  熊本城主:加藤忠広(加藤清正の子)が改易となり、細川忠興利が熊本城に転封に伴い

                  忠興も肥後八代城に移った同年細川氏に替わり播州龍野より小笠原長次が八万石で入封

 享保二年(1717)  小笠原氏五代:長邑が九歳で没し断絶となる。その後は丹後宮津から奥平昌成が十万石で入封し、

                        以後奥平氏九代居城して明治維新を迎える



中津城石垣  中津城 
  左 細川氏時代 右 黒田氏時代の石垣                             仰ぎ見る天守閣


                                             

築城年 

天正16年(1588)  

築城者 

黒田孝高 

歴代城主 

黒田、細川、小笠原、奥平   

形式 

水城 

遺構 

模擬天守、曲輪、石垣、堀 

現状 

中津公園 

ご案内 

無料駐車場有り 

  

城跡の地図  

  
  
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