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榎並城が築城された時期は天文年間と見られている。明らかなのは天文十七年からであった。「細川両家記」によると、同年十月二十八日三好長慶は、榎並城に篭る三好政長(宗三)・政勝父子を攻めた。翌年、政長は榎並城を政勝に委ねて、兵三千騎で淀川北岸の江口城に入ったが、そこを長慶に攻められ討ち死にした。父敗死の報を受けた政勝は、榎並城を捨てて摂津瓦林城に逃れた。
当時の榎並城はかなりの規模で強固な構えをもっていたものとされている。が、その後歴史から榎並城の名は出てこず、廃城となってしまった。
現在の水神社から当時をはかる遺構は残っていない。
2012/04/06
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