城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)

 
 
今西家土居屋敷

今西家土居屋敷 

            
   
       別称 土居城

     大阪府豊中市浜一丁目
                      
             
             
             
             
            
             
    2008/11/2 訪城             



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  今西家土居屋敷


         十二世紀末期(平安時代の末期)に。当時の豊中市全域に広がっていた藤原氏の荘園「垂水西牧」が、

                   奈良の春日大社に寄進されました。この寄進により、荘園の管理を行なう目代(荘菅)として。

                  今西氏が春日大社の社家から垂水西牧榎坂郷(豊中市穗積。吹田市江坂)に下向し,

                   同時に俵藤太(藤原)秀郷ゆかりの南郷春日大社の祭祀も司りました。現在、屋敷内には主屋や

                   春日大社の若宮を移築した南郷春日大社本殿があり、主屋背後の築山(土塁)や

         水田の中の末社、西側の堀跡などまた、屋敷地は約216m四方の範囲が二重の堀で囲まれていたことが、

                  発掘り調査で確認されております。全体に歴史的な景観をよく残しており。

                  今西氏には中世の荘園の実態を示す古文書も数多く伝えられおり、それらが現在に至るまで

                  引き継がれている点で、全国でも例のない貴重な史跡ととなっています。 

                                          国指定史跡(2008/11/21)  豊中教育委員会より  

                今西家は、赤松範顕や森長可、明知光秀ら有力大名との間に婚姻関係を結んでおり、

        高い格式を保つ家柄であった。山崎の合戦に際し、今西春房の弟春光が明知方に属し出陣したため、

        戦後羽柴秀吉によって所領を没収されたが、江戸時代に入ると領主保科氏の崇敬暑く、

        復興を許されることになった。しかし明治に入ると再び廃されることになった。 

        現在残っている屋敷は江戸中期のものです。


 

                                                           
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