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天正八年(1580)織田信長の命により阿波仁右衛門が築城した平城であった。
廃城歳月不祥とされている。また天正十三年(1585)本願寺が大和田に出城を作り下間某を入れたが、当時の荒木摂津守がそれを攻略し大阪まで追撃したという説もある。(大阪府誌)。かつて大和田町には城之町、のちの城垣内町という町名があり、古い土地の人たちから「城ンタ」と呼ばれて親しまれた。
この碑はもとの城垣内町(現在の市営住宅の所)の空き地にあったものを現大阪市大和田小学校正門入った所に移したものである。
大和田のうらはに こよい船とめて
清き浜べに月を いざみん (具氏)
夫木和歌抄に詠はれているように、京都から西国へ下る船は江口から神崎川にはいり、ここを通って海に出たので大層繁栄したといわれ、千船の名もこれからつけれらたものである。
「大和田城跡由来」より |