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基肄城 |
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佐賀県三養基郡基山町小倉 |
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2014/07/23 訪城 |
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7世紀後半、朝鮮半島では中国の唐と新羅(しらぎ)の連合軍が、百済(くだら)を滅ぼしました。
その百済復興のため、日本は援軍を送る決断をしましたが大敗してしまいました。
663年の白村江(はくすきのえ)の戦(たたかい)です。
このため、唐と新羅の連合軍が国内に攻めてくるかもしれないという緊迫した情勢が生まれ、
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、後の天智天皇(てんじてんのう)は、
大宰府防衛施設の建造を急ぎました。
こうして665年に築かれたのが基肄城です。百済高官の指導により築かれたこの朝鮮式山城は、
大野城とともに我が国最古の山城といわれ、山全体の地形を使い周囲4キロに城壁を廻(めぐ)らす
壮大なもので、今もその雄大さを感じることができます。
築城年 |
天智天皇4年(665) |
築城者 |
天智天皇 |
歴代城主 |
元号一覧 |
形式 |
朝鮮式山城 |
遺構 |
城門、水門、石垣、土塁 礎石 |
現状 |
草スキー場 |
ご案内 |
西土塁の地図 |
駐車場 |
駐車場有り |
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