城は見るだけ…歩くだけ!
 (日本の城郭)




  
  名護屋城   
佐賀県唐津市鎮西町名護屋   三の丸 2014/07/23  訪城 
 

 名護屋城跡公園

 


名護屋城は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して

出兵拠点として築かれた城です。

1592(文禄元)年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、

7年の間大陸侵攻の拠点となりました。

 城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇りました。

周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、

全国から20万人を超える人々が集ったとされています。

   現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡が国の特別史跡に指定されています。


     




 






                                      太閤井戸 

  以前は、松浦党波多三河守親の家臣・名護屋越前守経述の

居城(垣添城)であり、この城を大改修した。

     加藤清正が設計し、各大名に分担させてわずか5ヶ月で築かせた。

周辺には、

 徳川家康、伊達政宗、毛利秀頼、黒田長政、加藤清正など

全国の諸大名が陣屋を築いた。

 「文禄・慶長の役」の拠点として秀吉も1年あまり在陣しました。


 

 江戸時代の初期に破却はきゃく されたと考えられ、石垣が広範囲にわたって崩されています。





城年  天正19(1591) 元号一覧 築城者  豊臣秀吉  歴代城主  豊臣秀吉  形式  平山城 
遺構  曲輪,石垣,堀,城門5ヶ所,井戸 現状  城跡公園 ご案内   城跡の地図 駐車場  名護屋城博物館