11月21日早朝出発し初回の城松山城に来ました。先ず目にしたのが岩見観音堂です、この堂の裏手の道は竪堀かな? だったら凄い
始めは此処から登城しょうと思いましたが、余りにも急な坂道のように思われ、百穴を見学した際に聞きました神社から登城しました。
この神社からの登り道はラクチンと言った感じです。この城跡は土塁、竪堀、曲輪から見る空堀がみごとです。
正慶二年(1333) 新田義貞が築城した。戦国初期の城主:上田氏は、扇谷上杉に属し、川越城の支城だった。北条氏の北侵により
松山城も戦火を浴びるが、川越合戦後に上田氏は北条氏の傘下に入る。北条氏家臣団の単位「松山衆」となり、北武蔵の武士団を
統括した。松山城は戦略上の要地だった為、その後も北条氏と敵対勢力との間の争奪戦が度々行なわれた。秀吉の関東攻めに際し
松山城は多くの城と同様戦わずに降伏した。 天正十八年(1590) 関東に家康が入ると松山城に松平家広を入れたが、
家広が浜松城に転封した際に廃城となった。
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