今日は関東城廻の旅の初日の最後の忍城に着いたのは午後五時前でした、
(今朝の早朝から車でよく走りました乗場六時間?)
もう辺りは薄暗くなりそうな感じで取りあえず来た証に写真を撮り…直に博物館に行きましたが、
時間が4時30分迄でアウト!(ヤッパシ…) 仕方なしにお城の周囲を探索、
櫓、門、土塁、水堀、橋等、雰囲気はバッチリ。
延徳二年(1490) 山内上杉氏の豪族成:成田親泰が築城した。
永禄二年(1559) 上杉謙信の関東進出の際、忍城主:成田長泰は兼信に降伏したが、
謙信にお咎め受けた為北条氏に帰順した。
天正十八年(1590) 秀吉の小田原征伐の際、当時の城主成田氏長は小田原城に籠り、
残った士卒、農民ら三千が篭城した。敵将:石田三成は水攻めを考え、
延べ28`の「石田是」を築いた。だが篭城兵の細工で決壊し逆に三成の兵270名
余りが溺死した。 同年: 家康の関東入封後は松平家忠が城主となる。
文禄元年(1592) 家康の四男:松平忠吉が十万石で入封した。
慶長五年(1600) 忠吉は尾張清洲へ転封となった。その後は城主は何回か入れ替わり、
文政六年(1823) 松平下総守忠堯がはいり、四代続いた後、明治維新をを迎えた。
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