蒲生氏の居城跡。中野城ともいいます。築城以前の蒲生氏の城は、
音羽丘陵上にありましたが、蒲生定秀(がもうさだひで)
により戦国時代に日野城が築かれました。築城にあたっては、
既存の日野市街を城下町とし、城のある西大路付近を武家屋敷地帯、
日野市街を町屋敷地帯としたといいます。
明智光秀の謀反によって殺された織田信長の妻子が、
身を寄せたのは日野城です。蒲生氏郷はこの城で生まれ、
若くして戦国武将の器量を備えていたので、
豊臣秀吉に抜擢されて伊勢12万石の領主となって
日野城を去りました。
徳川時代に入って天和6年(1620)市橋長政
が中野城址へ仁正寺藩1万8千石の陣屋を構え、
明治維新まで藩主となった。
(近くに日野川ダムが有り行楽には最適です)
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