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敏
満
寺
城 |
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滋賀県犬上郡多賀町敏満寺
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2011/03/27 訪城
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敏満寺は天台宗寺院だったが、中世には湖東一大寺院となったため、近江を支配していた
佐々木六角氏や佐々木京極氏と対立し、寺院が城塞化していった。永禄5年(1562)、小谷城主
浅井長政の攻撃を受けた久徳城主・久徳実時に味方したため、敏満寺城は長政に攻められたため
坊舎のほとんどが焼失した。
元亀2年(1571)、織田信長の命に応じなかったことから、残りの坊舎も
焼かれ、寺領も取り上げられた。
慶長年間には彦根城築城のため残った礎石までも運び去られた。
現状は多賀サービスエリアが城跡です。 (現地説明板より)
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城豆知識
土塁(どるい) 城の防衛設備で濠を掘った土を積み上げたもので高さは6mほどあった。
曲輪(くるわ) 一定の区域の周囲に築いた土や石の囲い、
帯曲輪(おびくるわ) 城の一区画の側面を取り囲む長い曲輪
腰曲輪(こしくるわ) 一つの曲輪の側面に設ける削平地の曲輪、長いもに対して比較的横が幅広い。
空堀(からほり) 何時の時代のお城に問わず見受けられるのが堀である、
空堀は水が無く断面はV字形で、
底面は通路として使用していた。空堀は一区間又は一曲輪を回って掘っています。
堀切(ほりきり) 一直線状に尾根を掘りきています。
堀はだいたい水堀、空堀、泥田堀と三つに分けられます。
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