鎌倉時代:箕蒲庄の地頭であった土肥氏が築城したと言われている。
文明四年(1472) 京極持清の家臣:今井秀遠に攻められ:城主:堀次郎左衛門は討ち死にした。
天文二年(1533) 近江守護で観音寺城城主:六角定頼が今井定清に命じ鎌刃城を攻めさせた。
天文七年(1538) 今井定清は堀に代わり老臣島秀安を城代とした。
その後は堀氏は六角氏の降り鎌刃城主に帰り咲いたが
永禄二年(1559) 浅井長政が六角承禎に抵抗したため、堀氏も浅井氏に属した。
元亀元年(1570) 堀秀村は老臣樋口直房とともに織田信長に内応し、
これを知った浅井長政は鎌刃城を攻め落とし
百々越前守を城代とした。姉川の合戦で勝利した信長は再び堀秀村を城主とした。
元亀二年(1571) 浅井長政は一向一揆軍とともに鎌刃城を攻めたが、
横山城を守備していた木下藤吉郎が援軍に駆けつけ 鎌刃城は落城は免れた。
天正二年(1574) 鎌刃城は信長の直轄城となり、まもなく廃城となった。
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