近江八幡市馬淵町 真光寺 馬淵氏菩提寺 馬淵一族の墓(五輪塔) 2010/02/13
訪城
城跡とされる一帯は城屋敷と呼ばれ、現状は畑、住宅地化されている。
佐々木定網の五子広定が馬淵に住んで馬淵氏を称したのが始め、
馬淵氏は六角氏の家臣の中で守護代を務める。
文亀二年(1502) 六角氏に叛乱を起こした守護代:伊庭貞隆によって、落城し降った
文亀三年(1503) 蒲生貞秀の攻撃を受け、城主:馬淵道哲は観音寺城に逃れた。
永禄十一年(1568) 信長上洛を阻止せんと六角氏と共に抗戦したが、
信長に攻められことごとく離散した。
築城年 |
鎌倉時代中期 |
築城者 |
馬淵氏 |
歴代城主 |
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形式 |
平城 |
遺構 |
無し |
現状の形態 |
住宅,田畑 |
備考 |
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駐車場なし |
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