大溝城(おおみぞじょう)
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高島城
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滋賀県高島市勝野 |
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2009/09/22 訪城 |
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みのやんが訪城した時期は赤とんぼが真っ赤になり飛び交い、彼岸花が咲き乱れて、美しさに感動しておりました。
城の石垣は少し破壊され大きな石が散乱していましたが、天守台の石垣は少し見応えあり。(沖ノ島から運ばせたと伝えられている)
平城でありこの辺り城跡の面積も狭く15分も有れば見学できると思います。
三の丸跡の碑は161号線出る信号手前の道路際に碑が建っている、町には武家屋敷跡や他の遺構が残されている。
この城は明光秀の設計により築城され、天正六年(1578)織田信澄(信長の弟:信行の子)が高島郡を領し築城した。
天正十年(1580) 本能寺変後、信澄は光秀の娘を正室にむかえた事から、信澄に嫌疑がかかった。信澄の蜂起を恐れた織田信孝
(信長の三男)は丹羽長秀と謀り大阪城内の信澄を攻めた為、信澄は大坂城千貫櫓で自害した。信澄死後、大溝城には
丹羽長秀、加藤光泰、生駒正親、京極高次、入れ替わりはいった。 元和五年(1619) 京極氏に替わって分部光信が伊勢上野より二万石で入った。しかし 元和の一国一城令により三の丸を残し 破却された。分部氏は残った三の丸で陣屋を構え、代々続き明治維新を迎える。
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