城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)


 
  
   
音羽城おとばじょう)




 

 

 
  滋賀県蒲生郡日野町大字音羽                 2010/10/10訪城
     

 
音羽城は
応仁・文明年間(1467−86)に在地勢力蒲生貞秀により築かれたとされます。
蒲生氏は藤原秀郷を祖とし、平安期に近江国蒲生郡を開発して勢力を拡大した一族で、
源平の争乱期には蒲生俊賢が源頼朝に、
南北朝期には蒲生秀朝が足利尊氏に味方しています。
同城は文献上では3度攻撃を受けていることが確認され、1度目は
明応2(1492)年に将軍足利義稙が六角高頼を攻撃したとき、
2度目は同5(1495)年に美濃守護代斉藤利国が
京極氏とともに六角高頼を攻撃したとき、
3度目は文亀2(1502)年に六角高頼の被官
伊庭貞隆が主に叛き、音羽城に逃げ込んだ高頼を攻撃したときの3度とされます。
室町期に蒲生氏は近江守護職六角氏に仕え、貞秀の代には嫡男秀行が足利将軍家に、
次男高郷が六角定頼に、三男秀順が細川氏に出仕しました。しかし秀行が早死し蒲生家
家督は嫡男秀紀が継ぎましたが、高郷はこれを不服として貞秀が死去すると秀紀への
攻撃を開始します。この蒲生氏の家督争い(蒲生氏の内訌)には六角定頼が
高郷方に与して音羽城攻撃に参加したため、大永3(1523)年に秀紀は降伏し
鎌掛城に退去することで収束しました。この内訌後に音羽城は高郷により
破却されたと伝えられています。その後、蒲生氏の居城は日野城へ移った。
日野町の城跡では見応えの有る音羽城です、先ず空堀の巾、高さはビックリ致しました
 

遺構  曲輪、土塁、空堀、門跡、虎口  築城年  文明年間(1467-87)  築城者  蒲生貞秀 
歴代城主  蒲生氏  形式  山城  現状  史跡公園 

                                                    

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